研究代表者: |
原 俊彦 (北海道東海大学・国際文化学部・教授) |
研究分担者: |
植木 武 (共立女子短期大学・生活科学学科・教授) |
交付金額: |
3,400,000 円(平成7年度-平成10年度) |
代表者連絡先: |
〒 005-8601 札幌市南区南沢5-1-1-1北海道東海大学・国際文化学部 Tel. 011-571-5111 Fax.011-571-7879 Email: hara@di.htokai.ac.jp |
ローマクラブ報告の「成長の限界」や、その20年後のレビューである「限界を越えて」などからも分かるように、
World3)の構造を分析し,先史時代にそのまま応用できる部分の抽出を行なった。次に狩猟採集社会から農耕定住社会への移行に関する考古学・人類学関係の仮説を調べ,初期条件やシステムの構造を考え,プロトタイプ・モデルの作成を行った。本研究では,まずワールドモデル(
本研究の第二段階として
本研究の第三段階として
本研究の最終段階として
1972年に出たローマクラブ報告「成長の限界」は、地球環境の有限性の問題を初めて明瞭な形で提示し世界的なセンセーションを巻き起こした。高度経済成長の神話がまだ健在であった
200万年。人類は、そのうちの99%を狩猟採集民として生活してきた」。この間、世界人口はせいぜい600-1000万人まで増加しただけであり、人口成長率は限りなく0に近かった。つまり、現代的解釈に立つなら、人類は自然生態系に完璧に適応した、強固で安定した生活形態を200万年近くも維持していたことになる。しかし我々の近未来に投影された、この「成長の限界」という問題を、遥か過去に遡り、超長期的・人類史的視点から眺めると、実に不可解な謎に直面する。
周知のように「文化を持った人類が登場してから
DYNAMOに加え、新たにSTELLAが登場し、パーソナル・コンピュータ上で自由に作業ができる環境が整って来ている。現代のワールドモデルのベースとなったシステム・ダイナミックス手法は、人口・生産・自然環境・資源・土地利用など様々な要因が複雑にからみ合い、それらの相互作用が時間とともに非線形的な結果を生み出すモデルの開発に適している。また近年になり、従来のシミュレーション言語
8000年前に、それまで知られていなかった技術革新的変化=農耕が発見され、生産性が劇的に高まり、旧い生産様式=狩猟採集における食糧供給上の制約がはずれ、人口が急激に増大したという説明になる。文化人類学者L.H.モ−ガンの「文化進化説」や考古学者V.G.チャイルドの「新石器革命」などの古典的学説も、技術革新や文化革命が環境収容力を増大させ、それがさらなる文化変容を喚起したという立場に立っており、基本的にこのマルサス・モデルを反映している。なぜ人類は狩猟採集生活を捨て農耕生活へと踏み出したのか。決定的な分岐点にあたる「農耕革命」に関する仮説の中で最もシンプルで分かり易いのが技術革新・文化革命説である。
マルサスは「人口は所与の食糧供給による制約に適応して成長する」としており、この、いわゆるマルサス・モデルに従えば、
1960年代に入り、文化人類学や考古学分野の研究手法が飛躍的に進歩するにつれ、決定的な疑問が生じてきた。実際、この技術革新・文化革命説は非常に長い間、定説となっていたが、
E.ボスラップは第三世界に関する研究から、人口成長とその結果としての人口密度の増大こそが、生態環境に対する人類の対応=生産様式を継続的に変化させたのだとする全く逆のモデルを提案した。そして、前述のM.コーエンが、この説をさらに考古学的に拡張した。この与件である自然資源=食糧に人口が適応・均衡するマルサス・モデルに対し、農業経済学者の
Tropical grassland)並みの動物性資源(有蹄類生産量9000 kg/km2)をもつと仮定し、初期人口密度を0.10人/km2として、F.A.ハッサンの最適維持人口密度(Optimal Carring Capacity)を求めると0.191人/km2となる。狩猟採集地の拡大がない場合に人口密度が0.1から、この上限値まで増加する時間を人口方程式(N=Noert )で計算すると、約6500年後つまり現在から8500年前となり、これは定説の8000年前とぼぼ一致する。1万5千年前に人類が住んでいた自然環境が、現在のサバンナ(