「リアル世界とバーチャル世界」の未来 (2020718日)
  オンライン勤務などが一般化するとともに、旅行やスポーツ観戦などもバーチャル化すれば移動需要も激減し、大都市のようなものは不要となるのではないかと思う。そうなるかどうかは、多くの人が同時かつ物理的にリアルな世界を体験する必要性とは何かという問題と関係する。 
  ただ、仮にリアル世界とバーチャル世界を完全に分離し、必要に応じて、リアル世界⇒バーチャル世界を体験するとなると、個人の肉体はリアル世界に留まるため、サイバースーツのような疑似体験ツールが必要となるし、バーチャル世界でいくら美味しいご飯を食べても腹は膨れないないので、リアル世界の方の制約はキツくなり、リアル世界での体験が貧弱化することは避けられないだろう。リア充という表現が登場したのは、このためだろう。
  もっとも、現実世界の肉体の栄養状態など、ボディコンディションをサイバースーツなどを外部から擬似的にコントロールすることは可能だろうが、そこまで進化してゆくと、リアル世界そのものは、大都市不要どころか、棺桶サイズの生命維持装置で事足りるようになり、かって一世を風靡したSF映画「マトリックス」のような世界になってしまうはずだ。しかし、あの映画がイマイチ、説得力に欠けるのは、あそこまでいけば、もはやリアル世界の肉体は単に邪魔になるので、肉体を廃棄してプログラム化してしまった方が問題が起きないという矛盾が生じてしまうからだろう。映画の中では、核エネルギーが利用できなくなったために、棺桶サイズの生命維持装置の中の人間の肉体がバーチャル世界を支える最後のエネルギー変換装置となったという、俄には信じがたい設定になっていた(まあ、考えてみると最も効率の良いのエネルギー変換装置は生物であり、食物連鎖の最上位を人間が独占するようになれば、そのような事もありうるか?)。
  ただ、今朝の散歩中に、逆のやり方もありなのではという気がした。つまり、リアル世界を中心として、リアル世界をそのまま反映したバーチャル世界を必要に応じてモニターする。この方式であれば、リアル世界をバーチャル世界に合わせて変更する必要はなくなる。具体的には無数のセンサーをリアル世界にばら撒いて、リアル世界をバーチャル世界にミラーリンクする形にする。この方式では、リアル世界を変えない限り、バーチャル世界は変更できない。逆に、バーチャル世界は基本的にモニター画面の域を出ない。利用方法としては、スマホやTVモニターを使う感じになるが、こちらの方が健全だと思う。
 

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