人間の知性をAIに移植する可能性と意味(2020724(A)

  カーツ・ワイルの「シンギュラリティ」は、コンピュータの集積度(あるいはその関連技術)の指数関数増加(あるいは指数関数の指数の指数関数増加?)が起きていて、遠からず人類の知性を超える、異次元の知性が生まれると予測している。その特異点(シンギュラリティ)は近年の指数関数増加から2045年に来るとしている点については、指数関数増加のカーブ自体がどの時点でもフラクタルなので説得力がない。ただ、いつかは人類の知性を超える異次元の知性が生まれることは間違いないし、そう考えない人がいるとすれば、それはあまりに傲慢な態度だと思う。
  知性をどう定義するかによるが、「生きるための知恵」という意味では、アメーバから人類まで、すべての生物(おそらくウイルスや細菌、あるいは黴や植物も!)にも知性があると思う。また、各々の知性は、生存環境と生き方(適応戦略)により異なるので、超えるとか超えないとかいう形で一概に序列化できるとは思えない。従って、正確には、人類の知性とは次元の異なる非生物系の知性が生まれるという方が的確なのではと思う.
  ただ、そのように定義し直した場合、非生物系の存在が「生きるための知恵」としての知性を必要とするのかという別の問題が浮かぶ。実際、コンピュータをはじめ非生物系である機械には、通常、生物系の特徴である自己保存や自己再生、自己増殖などを最優先するような原理(多分、情報の量ではなく価値を決める原理)はない。だから、非生物系が知性を獲得することはできないという主張もある。しかし、逆に考えれば、非生物系である機械が知性を獲得するとすれば、それは同時に機械が生物系と同じような自己保存や自己再生、自己増殖を最優先するような原理(プログラム)をビルトインされ、端的に生物化する可能性を示唆している。
  このことはチューリングを皮切りに、コンピュータの発達の初期段階から予想されているし、人工生命(AL)の研究などからも、その可能性は否定できない。ただ、そうなると、実現した場合に、人類と新しい異次元の生命体との関係が問題化することになる。アシモフのロボット三原則のような、人類の都合に合わせたコンピュータの発達は期待できなくなるだろうし、邪魔になれば人類は淘汰されるか、遺棄されるか、あるいは、相手が優しい知性の持ち主であれば保護される(愛玩動物として)ようになるだろう。★マシな逃げ道としては共存し共進化することも考えられるが、次元が異なると難しいのではないか。
  人類はそのような展開を避けるべきか、あるいはおとなしく受け入れるべきかの議論は別としも、コンピュータが生物化する危険性は十分あり得るので、所詮、非生物に過ぎないからという理由で異次元の知性が生まれる可能性を否定することはできない。
  ただ、カーツ・ワイルの「シンギュラリティ」を読むと、人類の一部(カーツ・ワイル本人も含め)が、この新しい異次元の生命体に移植(アップロード)され、超人類のようなものに進化するようなことが構想されていて(ユーバル・ノア・ハラリの「ホモデウスHome Deus」も同じような可能性を示唆している)、人類の一部(特にエリート層)に根強く蔓延る「不老不死Immortality/」願望がむき出しとなり、正直なところ、人口学者としてはムカつく。というのも、永遠の生命とか、不老不死というものは人口学的には原理的にあり得ない(無限増殖すれば宇宙そのものになる)し、トンデモンなく不遜で間違った願望だと思うからだ。人(あるいは生命)は、生まれたり死んだりするから、全体としての生命は持続可能なのであり、不老不死自体が反生命的なものだと考えるからだ。
  また、人間の知性をAIに移植する可能性については技術的に否定しないが、その場合には、生きている人間の身体性とその周辺環境をAIの中に移植し再現しなければならないという問題が解決されねばならない。というのも、人間の知性は、その人間の身体性とその周辺環境の中で機能しており、しかも時間的な連続性の中で自己モニターされている。従って、プログラムやデータが途切れることなく、ライブのまま瞬時に移植しなければ、移植後の自己は連続性を失う。もっともコールドスリープのように身体時間を止めて移植し、移植後、解凍して再スタートするという手が使えれば、そして移植の間の現実世界の変化は無視できる、あるいは、移植後の現実世界はどうでも良く、永遠にAI内部の世界で生き続けるのであれば、そういう問題は起きないかも知れない。しかし、現実世界と無関係に永遠に生きるとすれば、それこそ生物としては無意味ではないか。
  従って、カーツ・ワイルがいうように、量子コンピュータやナノロボットによる体内モニタにリングによって、AIの計算スピードや記憶容量が人間の脳や身体全体の能力をはるかに凌駕するようになれば、「シンギュラリティ」は起こりうるが、それが愚かな不老不死の夢の実現を目指すものであるのなら、やめておく方が人類の知性に叶っていると思う

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