「偶然と必然、あるいは確率分布と自由意思の関係」で登場するJ・L・ボルヘスの短編に『バベルの図書館(La biblioteca de Babel)』(初出1941。再録『伝奇集』Ficciones 1944)というのがある。情報社会学関係の文献の扉などに、しばしば引用されている。
「この図書館は、中央に巨大な換気孔をもつ六角形の閲覧室から成り、上下に際限なく同じ部屋が続いる。閲覧室は全て同じで形で、4面☓5段の本棚(各段32冊)、2面はホール(左右に扉、立ったまま眠る寝室とトイレ、上下の閲覧室に行く螺旋階段)に繋がっている。司書、捜索係、翻訳者たちはそこに住み、そこで生涯を終える(死体は換気孔に投げ捨てられる)。物語は、そこで一生を過ごした老司書の述懐という形で述べられている。(WIKIからの抜粋)」
つまり、めまいのするようなハニカム構造の建物でほぼ無限大の高さと広さがあり、照明はランプだけで、司書、捜索係、翻訳者はいるようだが閲覧者についての記述はない。旧約聖書の『バベルの塔』をイメージしたものだが、むしろエッシャーのだまし絵に近く、無限循環的な、遥かに巨大な宇宙的空間である。
「この図書館の本はすべて全て同じ大きさで、1冊410ページ1ページに40行☓80文字である。本の大半は意味のない文字の羅列で、ほとんどの本は題名が内容と一致しない。なお、全ての本には22文字のアルファベット(小文字)と文字の区切り(空白)、コンマ、ピリオドの25文字しか使われておらず、同じ本は2冊とない。(WIKIからの抜粋)」
1冊410ページ☓40行☓80文字という規格はコンピュータの記憶容量(メモリー)を連想させる(IBMのパンチカードが1行80桁だったことを思い出す)。実際、この短編の初出は1941年となっているので、すでにA.チューリングの「計算可能数について─決定問題への応用」(1936年)という論文は公開されている。同時代の超知識人ボルヘスなら、チューリング・マシーンのようなものをイメージしていたとしてもおかしくない(少なくともボルヘスが同時代の哲学者・論理数学者だった、ヴィトゲンシュタインやバートランドラッセルなどの考えに関心を持っていなかったとは思えない)。
「それゆえ司書たちはこの図書館は、この25文字で表現可能な全ての組合せを納めていると考えている。すなわち、これまでに書かれたすべての本の翻訳、これから書かれるすべての本の翻訳、それらの本の落丁・乱丁・誤訳版、および不完全な版を指摘した解説書、解説書の偽書、解説書の偽書一覧目録(これにも偽書あり)等のすべてを含む。(WIKIからの抜粋)」
当然のことながら、この短編自体も収蔵されていて、その「落丁・乱丁・誤訳版、および不完全な版を指摘した解説書、解説書の偽書、解説書の偽書一覧目録(これにも偽書あり)」もあることになっている。
「25文字で表現可能な全ての組合せ」という点では、遺伝子コードがアデニン(A)とグアニン(G)、シトシン(C)とチミン(T)の四種類の塩基から成るDNAの二重螺旋で表現されているという話を連想させるが、考えてみれば、あらゆるコード情報は使用しうる文字数の組合せに過ぎず、「バベルの図書館」に限らず、そのすべての組み合わせが情報量の上限(限界量)となる。
しかし、実際に意味のある情報は完全な乱数の組み合わせよりも稀でなければならない。つまりホワイトノイズのようなものからコードとして明確に区別される規則性や秩序を持つことが必要だ。数学者クロード・シャノンが『通信の数学的理論』(A Mathematical Theory of Communication)を書いたのは1948年なので、ボルヘスがこの短編を書いた時はまだ情報エントロピーの概念は知られていなかったが、「バベルの図書館」は我々の文明の行き着き先が『情報の熱死(the heat death of information)』状態となることを予感していたのだと思う。
『情報の熱死』という概念があるのかどうかは知らないが、熱力学の方のエントロピーには、熱死(The heat death of the universe)という概念がある。これは熱力学の第二法則(「孤立系のエントロピーは増大する」)に従えば、宇宙の最終状態として考えうる状態で、宇宙は完全に均一となり何も変化しなくなるとされている。宇宙が孤立系かどうかかが問題となるが、情報の場合、コード情報は使用しうる文字数の組合せに過ぎず、「バベルの図書館」に限らず、そのすべての組み合わせが情報量の上限(限界量)となるのであるから、明らかに孤立系であり、コード情報の増大=エントロピーの増大が進めば、『情報の熱死(the heat death of information)』に至ると考えるのが自然だろう。